薄毛の悩み、特にAGA(男性型脱毛症)において、なぜ前髪の生え際や頭頂部が選択的に薄くなってしまうのでしょうか。一方で、側頭部や後頭部の髪は比較的最後まで残ることが多いのはなぜでしょう。この現象には、遺伝子レベルでの明確な科学的理由が存在します。私たちの髪の毛は、「成長期」「退行期」「休止期」というヘアサイクルを繰り返しており、健やかな髪の大部分は数年間にわたる成長期にあります。しかし、AGAを発症すると、この成長期が極端に短縮され、髪が太く長く成長する前に抜け落ちてしまいます。このヘアサイクルの乱れを引き起こす直接的な原因物質が、DHT(ジヒドロテストステロン)と呼ばれる強力な男性ホルモンです。DHTは、男性ホルモンであるテストステロンが、5αリダクターゼという還元酵素によって変換されることで生成されます。そして、ここからが重要なポイントです。生成されたDHTがその脱毛作用を発揮するためには、毛根にある毛乳頭細胞に存在する「アンドロゲンレセプター(男性ホルモン受容体)」と結合する必要があります。実は、このアンドロゲンレセプターの感受性や分布密度は、体の部位によって遺伝的に決まっているのです。そして、前髪の生え際(前頭部)や頭頂部の毛根には、このアンドロゲンレセプターが特に多く存在し、なおかつDHTに対する感受性が高いことがわかっています。そのため、DHTが生成されると、これらの部位の毛根が選択的に攻撃を受け、ヘアサイクルを短縮させてしまうのです。対照的に、側頭部や後頭部の毛根には、このアンドロゲンレセプターが少ないか、感受性が低いため、DHTの影響を受けにくく、薄毛が進行しにくいというわけです。前髪の薄毛は、単なる老化現象ではなく、特定の部位に存在する遺伝的な特性とホルモンの働きによって引き起こされる、科学的な現象なのです。